MESSAGE 私たちの約束

沿革

  • 1938年

    昭和13年

    前身となる東洋繊維化学工業所創立。
  • 1961年

    昭和36年

    東洋テックス株式会社に商号を変更。
  • 1962年

    昭和37年

    通商産業省より日本工業規格表示許可工場に指定。
  • 1963年

    昭和38年

    石膏ボードの生産販売を開始。
  • 1970年

    昭和45年

    丸亀市昭和町に丸亀工場を建設。
    コンクリート型枠用合板の生産販売を開始。
  • 1973年

    昭和48年

    高松市十川西町に十川工場を建設。
    木質繊維板の生産を開始。
  • 1980年

    昭和55年

    表面加工コンクリート型枠用合板の生産販売を開始。
  • 1985年

    昭和60年

    畳ボードの生産販売を開始。
  • 1994年

    平成6年

    複合1種フローリングの生産販売を開始。
  • 1996年

    平成8年

    高松市勅使町に新社屋を建設。
  • 2006年

    平成18年

    品質マネジメントシステムISO 9001丸亀工場認証取得。
  • 2011年

    平成23年

    高松市十川西町に高松配送センターを設置。
  • 2012年

    平成24年

    多度津町西港町に多度津工場を建設。
    品質マネジメントシステムISO 9001多度津工場認証取得。
  • 2015年

    平成27年

    エコレールマーク認定企業を取得。
  • 2016年

    平成28年

    ダイヤモンドフロアー®「YAMATO(大和)シリーズ」発売
  • 2018年

    平成30年

    ダイヤモンドフロアー®「CanvaS(キャンバス)」「Sakura 咲」発売
    創立80周年を迎える
  • 2019年

    令和元年

    ダイヤモンドフロアー®「CanvaS-neo」「Juri」発売
    ダイナクティブフロアー®「杢」「匠」「彩」発売
  • 2020年

    令和2年

    公式 Instagram開設
  • 2021年

    令和3年

    抗ウイルスSIAAマーク取得
    ダイヤモンドフロアー®「CanvaS⊿4」発売
    抗菌SIAAマーク取得
    ダイヤモンドフロアー®「AA+S」「新AA+S」発売
    「Spice the LINEBONE」発売
    ダイナクティブフロアー®「匠ラスティック」発売
    パブリックフロアー「楽lock S・P・C® flooring」発売
    Spice the LINEBONEが「グッドデザイン賞」「みらいのたね賞」を受賞
  • 2022年

    令和4年

    「楽lock S・P・C® flooring」新柄を発売

東洋テックスの歴史

これからの時代、より安価で品質の高いフローリングが求められるに違いない──。
フローリング専門メーカーの東洋テックス前社長塚田昭義はそう確信していた。畳、カーペット、そしてフローリング。日本の住宅には、さまざまな床材が使われてきた。なかでも現代の住宅で主流になっているのがフローリングだ。
ひと口にフローリングといっても、いくつかの種類がある。大きく分けると天然木をそのまま加工した「無垢フローリング」と、単層の板を重ね合わせた合板の表面に天然木材(突き板)、または木目を印刷したシートを貼った「複合フローリング」の2種類。最近は、デザインの多彩さや手入れのしやすさから、木目を印刷したシートを貼った「複合フローリング」が広く普及している。フローリングの歴史は技術革新の歴史。東洋テックスは、1938年(昭和13)の創業以来積み重ねてきた技術を活かし、1994年(平成6)、新時代のフローリングの先駆者としてその第一歩を踏み出した。

東洋テックスは、2018年5月で創業80周年を迎えた。その前身は、創業者である三木武吉が繊維板の製造に着眼し、香川県高松市に設立した東洋繊維化学工業所。近代日本建築に多用されたのが各種ボード類で、そのひとつが木の繊維を熱圧成型した繊維板だった。ときは日中戦争のただ中にあり、日本は太平洋戦争への道を突き進んでいた。1942年(昭和17)には軍需省の指定工場となり、緊急建築資材として陸軍に納入していた実績もある。

戦後、経営を引き継いだのが、三木の秘書として実質的な運営を行っていた前社長の塚田だ。めまぐるしいスピードで時代が動く中、塚田は常に市場のニーズに合わせた製造を行ってきた。1953年(昭和28)には、繊維板に特殊加工をした吸音板を開発。1963年(昭和38)には機械による合理化を徹底して行い、品質の改善とともに飛躍的な増産体制を実現した。吸音板メーカーとして国内シェアトップとなった同年、石膏ボードの生産販売も開始した。
その後、1973年(昭和48)に西日本随一の規模を誇るコンクリート型枠用合板(コンパネ)専門工場を完成させ、合板メーカーとして業界に名乗りを上げる。日本最大の合板メーカーセイホクに比肩する企業として、「東のセイホク、西の東洋テックス」と称された。さらに、1980年(昭和55)にはコンパネの表面にウレタン塗装を施し、付加価値の高い塗装コンクリート型枠用合板(塗装コンパネ)が圧倒的な人気を得て、塗装合板の販売で日本一のシェアを誇るにいたった。

しかし、90年代に入ると、東洋テックスは大きな岐路に立たされる。当時はマレーシアから輸入した丸太から合板生産を行っていたが、他社が東南アジアで生産された安い合板を輸入するようになっていたことで、コスト面で競争力が弱まりつつあった。このピンチをチャンスに変えるべく、合板の製造技術を活かしたフローリング業界への進出を決断した。1994年(平成6)に複合フローリングの生産・販売を開始。3年後の1997年(平成9)には、業界初のF1フローリングを発売した。F1フローリングとは、今でいうフォースター(F☆☆☆☆)相当の低ホルムアルデヒド放散量のフローリングのことである。当時、ホルムアルデヒドが人体に与える影響については業界でも話題になっていた。ホルムアルデヒド対策以前は、コンパネなどの各種合板やその二次加工品にはすべてホルマリンが入った接着剤が使われており、どの建材倉庫にも目と鼻にツンとくるホルムアルデヒド独特の臭いが漂っていた。
合板の仕入れを海外に依存する他社に比べ、東洋テックスは自社で合板からの一貫生産を行っていたため、この問題への迅速な対応が可能だった。これにより、東洋テックスはまたたく間にフローリング業界をリードする存在になる。その後、2001年(平成13)に発売した「ダイヤモンドフロアー®AAシリーズ」がロングセラーとなり、2018年、総売上坪数は累計850万坪に届く見込みだ。これを距離に換算すると世界一周の約4万75㎞に相当する。

合板用ホットプレス

品質管理後の合板

東洋テックスの製品特徴は、特殊強化紙と塗装技術で美しさと強さを兼ね備えたフローリングを実現した点だ。複合フローリングのシートには、プラスチックの一種であるオレフィンシートが広く使われている。しかし、東洋テックスはオレフィンシートではなく、あえて塗装が必要な特殊強化紙にこだわった。
最大の理由は、リアルな木質感の表現とUV塗装や基材との相性の良さである。また、安定した品質や柄の位置精度の高さなど、製造面での長所もあった。

塗装においては、塗装合板の製造で積み重ねてきた技術が役に立った。東洋テックスには、塗装合板の販売シェアが日本一だった歴史がある。その技術を発展させ、応用することはできないだろうか──。研究を重ねて生まれたのが、独自の塗装技術「プレミアコート®」だった。これは、表面塗装10回塗りを施す塗装方法で、高耐久性塗膜を形成し、傷が付きにくく耐水性に優れたワックス不要のコーティングである。

東洋テックスの信念は、基材においても貫かれている。耐久性と安定性に優れた7プライ(7層)南洋材合板をはじめ、植林木合板(ファルカタ・アカシア・ユーカリ)やパーティクルボードなども高品質基材にこだわっている。また、工場設備や合板製造のノウハウをマレーシアに移した経緯があり、現地に検査員を駐在させて品質管理を徹底し、日本で製造するものと同じ品質の合板をマレーシアから直接仕入れることができる。

2012年(平成24)には、多度津工場を建設し、生産拠点を同工場に一本化。同年10月には塚田前社長の急逝により、松原哲裕が社長に就任した。松原は着任後の数年間で製品ラインナップを見直し、ニーズにあった新商品の開発、一部商品の廃番などの取り組みを推し進めた。

2018年4月には、「ダイヤモンドフロアー®」シリーズの新商品を国内市場に投入した。南洋材合板や特殊化粧紙・塗装技術など他社と差別化を図れる強みを活かし、創業80周年に合わせて一新したキャッチフレーズ「美しさと強さのTOYOTEX」を実現する。